元展転社社長 藤本 隆之氏 追悼文

長年にわたり諸々の国民運動の表方・裏方双方を務めてきた藤本隆之氏が、さる九月十六日(金曜)夕刻、帰幽。残念の極みである。
 逝去については当夜、畏友からの緊急電話で知るところとなり、驚愕した。藤本氏は数年前から心身共に病に冒され一時は病死覚悟の思ひでゐた中で、限定的ながら体調がそれなりに改善し、国民運動への復帰も予想外に進み始めてゐた矢先の自宅での逝去である。
 翌々日、畏友に誘はれ夫人の了解・同席のもと、遺体に接した。夫人の話では、苦しみつつ亡くなつたのではない。敢へて言へば安らかな急死だつたやうだ。
 彼の諸活動の根幹にあるものは尊皇愛国の志と断じてよからう。
 さうした諸活動への関はりは大学生時代に始まり、保守派・民族派の出版で知られる展転社の社員・社長時代を経て、退職後も今日に至るまで変ることなく、その志は一貫不動であつた。あらためて深い共感を覚えるものである。
 彼の尊皇愛国の諸活動の中で筆者が特に重視してきた事柄が二つある。
 一つは皇統男系護持の立場を貫いたことである。かつて女系容認論が官邸、与野党、言論界を主導し始めた頃、これに対抗すべく発足した専門家による内密の研究会に事務方として関はつた筆者は、以前から交流のあつた藤本氏が当該問題についても信頼できると判じ陪席者の一人として参加することを呼び掛けた経緯がある。諸般の事情があつて彼は研究会参加の件を公表しなかつた。この研究会の成果こそが官民の有志を動かし、女系容認論の拡大を間一髪、止める切掛けとなつたのである。
 もう一つは、維新政党新風の綱領や基本政策に彼が強く共感、同意したことである。 尚、藤本氏は、一昨年から維新政党新風本部広報委員。新風が戦後日本に於て唯一の国体護持政党であることに理解を示してくれた大切な人材である。新風としては、この方面でも彼をもつと活用したかつたところである。
 彼とは公私にわたつて密接な関係を維持してきた。二十歳ほど年下の彼とは、飲んだくれ、酔っ払ひ同士で気が合ひ、いつも宴席を一緒にしてきた。無茶苦茶な事態も含めて懐かしい思ひ出が一杯だが、紙幅が尽きたので触れない。
 彼は志半ばに斃れたと言へなくもないが、しかし志を生き抜いた人生にいささかも
悔いはあるまい。心を込めて冥福を祈るばかりである。

                                                                中村信一郎

Author: shimpu_01