基本政策方針

憲法改正 第二次試案(改訂二版)

平成三十一年四月一日改訂

【憲法とは】

わが国において「憲法」と言へば、聖徳太子の「十七条の憲法」が直ちに想起されるが、 『日本書紀』ではこの「憲法」を「いつくしきのり」と訓みならはしてゐる。「十七条の憲法」は倫理的訓誡を示したものと捉へられ、これが近代的な意味における「憲法」でないことは自明の理である。但しこの中において第三条の「承詔必謹」と、第十七条の衆議の重要性とを説く内容が見られるのは極めて意義深いと言へよう。かうした理念を近代国家進捗のために明確に表明したのが、 「五箇条の御誓文」における「広ク会議ヲ興シ萬機公論ニ決スヘシ」の公議政体としての性格である。

わが国が嘉永六年(一八五三)のペリー来航以降の動乱を経て、否応なく世界史の経緯の中に組み込まれ、洋的な政体に倣はざるを得なくなつた時に、 constitution を「憲法」と訳したわけである。 constitution の語源は「共に立てる」であり、これが「憲法」や「政体」の意味に転化したのは、西洋における歴史過程が大きく関係してゐる。

constitution は、フランスの「人権宣言」に「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められてゐない社会は、いづれも憲法をもつとはいへない」と述べてゐる如く、国王の権力と国民の権利との血塗られた闘争の過程から案出された一種の契約として捉へられる。そこで「共に立てる」の「共に」の意義は、国王と国民との間の妥協の産物として理解できるであらう。更に国王を弑逆したフランスや、多民族国家であるアメリカにおいては、共有する価値観を「共に立てる」必然的な要件が存してゐた。

わが国において政体としての立憲君主制が確立したのは、明治時代からと通常捉へられてゐるが、実際には既に律令の制定によつて成立してゐるといふ事実を深く認識する必要がある。即ち世界史の経緯としての時代の要請の中で、維新政府は西洋型の立憲君主制に倣ひ constitution を作成しなければならなくなり、明治九年九月六日、憲法起草に関し熾仁親王に下し給へる勅語で、「朕爰ニ我カ建国ノ体ニ基キ、広ク海外各国ノ成法ヲ斟酌シ、以テ国憲ヲ定メントス。ソレ宜ク汝等之カ草案ヲ起創シ、以テ聞セヨ。朕将ニ之ヲ撰ハントス」と仰せ出された。

この畏き勅語に「我カ建国ノ体ニ基キ」と仰せ給うた思し召しが一番肝要なところである。即ち帝国憲法は単に西洋の模倣としての constitution を作成したわけではなく、あくまでもわが国の歴史的連続性に則つた「憲法」体系を考へたのである。そのことは第一条から第三条までの条文に国体法を明記したことによつて示されてゐよう。憲法には成文と不文とがあるが、今日の如く複雑な世界史的状況の中においては、わが国の歴史的連続性を保つためにも、基本的な事案については克明に規定しておく必要があると思はれる。

【改正の指針】

現行憲法は、大東亜戦争における軍事的敗北による連合軍の占領期間中、米軍の銃剣の下で強制的に制定された翻訳憲法である。その改正手続きは、議会に上程して畏くも先帝陛下の御裁可を戴いた上での公布といふ擬制をとつてゐるが、国民の目を欺く言論統制によつて全く選択肢のない状況の中に己むなく成立せしめられた憲法であるといふ事実は夙に知られる所である。即ち昭和二十一年十一月三日の「日本国憲法公布の上諭」及び「日本国憲法公布記念式典において下されし勅語」によつて整合性を保つてゐるが、その性格は米国の初期対日方針に基づく占領基本法乃至占領管理法であることは言ふを挨たない。

占領期間中に被占領国の憲法を改正することは、ハーグ陸戦条規四三条や大西洋憲章三条によつて禁じられてをり、ポツダム宣言十二項においても「国民の自由に表明する意志」によつて最終政治形態が決定されると明記されてをり、さうした規定に違反してゐるのは明かである。独立国の憲法制定における第一義は、国家・国民の主体的意志によつて制定されなければならない、といふ成立過程にあり、かうしたわが国の立場と歴史を全く無視し、占領政策を円滑に遂行することだけを目途とした憲法であるが、これを今日まで継続してきた政治の怠優をこそ強く批難しなければならない。

現在のわが国をめぐる内外の状況は、国益を逸する外交姿勢のため国家としての矜りを喪失し、政治は利権を保持するためだけに汲々としてをり、さうしたことの必然的な帰結としての無規範・無秩序傾向が顕著となつて、心ある国民の憂慮するところ大である。かかる状況の中で漸く憲法改正の議題が上がつてきたのは極めて当然な成り行きと言へるが、現在の動きを全般的に検するに、所詮占領基本法の枠内での修正が論じられてゐるに過ぎないと見られよう。今日の如く政治・経済・教育等々が歪んでるる結果齎されてゐる諸問題は、全てこの占領基本法の桎梏による戦後体制の弊害であるのを国民自身が理解し始めてをり、そのためにもわが国としての正常なる国憲を速やかに回復することが政治に課せられた急務であることを自覚すべきである。

わが党は、先づ帝国憲法の復権を為すことが正当と考へるが、ただ戦前に対する反省及び現今における情勢の変化の中で、これをより良く改正して、わが国の最高法規とすることを思慮してゐる。そこで帝国憲法を鑑みるに、当時の状況からして国体法と政体法とが渾然としてをり、法理上の論争をもたらした経緯が存した事実を理解する必要がある。

この度わが党が呈示する改正案は、あくまでも悠久なる国史の道統に則り、その中でわが国が如何にあるべきかを思考した結果としてである。而して改正案の要諦は、国体と政体とを明確に峻別したところにある。前記した如く、帝国憲法においては国体と政体との規定が不明瞭であつたことにより、法理上の混乱を招かざるを得なかつたが、わが党はこの点を十分に留意した上で改正案を作成した次第である。

改めて断るまでもなく、国体は決して明治以降の法体系の中で成立したものではなく、近代以前においては侵すことの出来ない自然法として成立した不文律の慣習法として、厳然と自覚せられてゐたのである。而して国体の意義は、わが国の悠久なる理念として存してゐた事実を知らねばならない。かうした理念の尊厳性且つ不可侵性を保持するために、ここに不磨の大典としての「国体憲章」を明文化したことを特記しておく。

国体に対する政体は、時勢の状況に応じてのより良い政治としての組織形態の制度を意味する。それは正しく伊藤博文が『帝国憲法義解』の第七十三条改正条項において、「法ハ社会ノ必要ニ調熟シテ、其ノ効用ヲ為ス者ナリ、故ニ国体ノ大綱ハ萬世ニ旦リ永遠恒久ニシテ、移動スヘカラスト雖、政制ノ節目ハ世運ト倶ニ時宜ヲ酌量シテ、之ヲ変通スルハ亦己ムヘカラサルノ必要タラスムハアラス」と説くところである。

そこでわが党は現在の状況を勘案して、政体としての最高法規である「日本国憲法」を定め、これを明示したわけである。ここに「国体憲章」と「日本国憲法」とが相俟つて、わが国の伝統的理念を具現化するための近代的法体系が完備されるのである。即ち不易なる理念としての「国体憲章」に基づいて、可変的な制度である「日本国憲法」の運用が潤滑に行なはれ、国の秩序が整ふことになるのである。

【改正の方法】

現行憲法は、本来ならば昭和二十七年四月二十八日の講和条約発効により、わが国が主権を完全に回復した時点において当然失効したはずであるが、さうした手続きを怠つたがため、占領体制がそのまま戦後体制へと継続してしまつたところに、今日の問題が惹起されてゐるわけである。

かうした占領体制の継続としての戦後体制を速やかに克服しなければならないのは当然であるが、その最大の障碍となつてゐるのが「平和憲法」と称される占領基本法であるのは言ふまでもない。それが政治の不作為によつて、占領基本法がわが国の国権として定着してしまつてゐるやうな感がするのは否めないところであるが、かかる定着論に拘泥してゐては畢竟占領体制を是認する結果となり、延いてはわが国史の断絶をもたらす危険性があることを理解すべきである。

かかる定着論を支持する立場には、当時普く定着してゐた「教育勅語」を、昭和二十三年九月に議会において失効を決議したことを如何に捉へてゐるかを糺す必要があらう。「教育勅語」の失効は占領軍の銃剣の下での巳むを得ざることと言ひ訳をするならば、現行憲法の定着に対しては私たち国民が責任を負はねばならないことを覚るべきである。同時に占領憲法の定着は、わが国の政治的敗北を意味してゐることに気付かねばならない。

現代の時代区分として昭和二十年八月十五日を以つて、戦前、戦後としてゐるが、ここに大きな誤りが存してゐる。八月十五日は畏多くも先帝陛下の辱ない玉音放送によつて干戈が止んだことに重要な意義が見出せるわけである。然し乍ら法理上の戦争状態は講和条約発効まで継続してゐたので、実際の戦後としては昭和二十七年四月二十八日以降となることを認識しなければならない。繰り返すことになるが、この講和条約発効を以つて全ての占領政策は失効したにも関はらず、これが現実的に継続してゐるといふ事実が問題の起点となるのである。

而して現在におけるわが国の国権回復にあたつて最も緊要となるのは、先帝陛下の終戦の詔であることを再確認する必要がある。この畏多い詔において、先帝陛下は「国体ヲ護持シ得テ」とその御確信をお示し給はれてゐることを有難く拝し奉らなければならない。それはわが国の理念としての国体は不変であるが、政体は変はることも有り得るとの思し召しであつたと拝察奉るのが肝要であると思はれる。それはわが国の政体が改変する場合において、必ず畏き詔によつてゐるといふ厳粛なる国史の事実を深く認識しなければならない。

例へば、大化の改新の詔は人口に膾炙してゐるが、これに基づいて政体が定まり後の律令制度への道が開かれたが如ぐである。更に明治維新に際しての王政復古の大号令は余りにも有名であるが、同時に王政復古の詔を宣り給うてゐる事実を理解する必要があり、ここに近代国家としての新しい道筋が導かれたといふ大きな意義が見出される。

かうしたわが国史上における政体の改革を考へあはせて、現在の国権回復を目指すに際し、先づ第一に念頭に置かなければならないのは、「惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ、固ヨリ尋常ニアラス。爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル。然レトモ朕ハ、時運ノ趨ク所、堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ、以テ萬世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」とお示し給はれた、非常に辱けない終戦の詔である。

即ち占領軍が、軍隊の無条件降伏を政府の無条件降伏と擬装し、国際条約違反の占領基本法を憲法と称して強制したやうな非常事態を予測され給うての、かくの如き極めて意義深い思し召しであらせられたと拝察し奉るわけである。

現今の改憲論議は、このやうな先帝陛下の辱けない大御心を全く考慮せずに、ただ情勢論としての私擬憲法を論つてゐるに過ぎないと見られよう。今日の問題は米国による占領といふ未曽有の国難がもたらした結果であり、これを原状に回復することが最大の目途である。而して占領期間中は、先帝陛下が畏くもお諭し給はれた「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」を体し奉りて、忍従の時を堪へてきたわけである。この占領期間中における忍従の思ひが如何ばかりであつたかは改めて縷述する必要はないであらう。故に講和条約発効後、違法に強制された占領基本法は直ちに失効して然るべきであつたにかかはらず、この一当然為さねばならぬ手続きを怠つてきたところに戦後政治の性格があらはされてゐると言へる。

まさに戦後政治は畏き先帝陛下の大御心を拝し奉ることなく、政治的不作為を営々と続けてきた責任を負はねばならない。今日改憲論議が世界史の趨勢の中で行なはれるに至つてゐるが、肝腎なのは戦後政治の責任の上において占領体制の解消を図ることが何よりも急務のはずである。先づ為すべきは占領基本法の失効確認であり、これを国会において行なふことは戦後政治の不作為を明らかにする意味も含まれてゐる。それが私たち国民としての当然の責務を果たす行為と言へる。

前述した如く今日の情勢論としての改憲論議は、どこまでも占領体制を温存した上での思考であり、それではわが国の正当なる国権の回復になり得ないのは明らかであらう。今こそ占領体制を継続する戦後の「虚妄」を完全に払拭させるために、国史の道統に則り、わが国の法理に従ひ国権正常化に向けて邁進すべき時であるのを強く自覚せざるを得ない。これが現実的にに可能か、不可能かの情勢論に惑はされることなく、わが国が本来の国権を回復出来るか、否か、国家としての大きな岐路に立つてゐるのを覚悟すべきである。

改めて略述すれば、わが党は帝国憲法復元改正論を基本的主張とし、現行憲法の失効論に立つ。それは国家としての原理原則を無視した憲法は、国民生活から甚だしく乖離すると共に、歴史的連統性を否定することになると危慎するからである。しかしながら現行憲法が半世紀以上に亘つて実態として機能してきてゐることも事実であり、現実の国民生活に大きな断絶を生じせしめないことが大切である。

従つてわが党の復元改正論は、わが国憲法の正当性を回復するため単なる感情論ではなく、正式な法理的手続きに則ることを重要視してゐる。即ち占領憲法と雖もわが国が主権を回復した後も私たちの生活を律してゐたのは事実であり、わが党が主張する復元改正としての立法措置を合法的に施行するため、現行憲法第四十一条の「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」に基づき、国民から選任された代議士が国会の場において憲法改正のための議案上程を行なひ、現行憲法の失効と帝国憲法の復元を宣し、直ちに陛下への上奏によつて詔を拝戴し、然る後に予め作成しておいた帝国憲法改正案を議決するものである。この手続きを経ることによつて、憲法改正による時間的空白を無くし、現行憲法制定過程の不正義をも糺すと同時に、欽定憲法としての性格も充足することができる。そして、過去における現行憲法下での法判断は特定の期間は有効とされるが、その後は徐々に新しい法判断に変更されることになる。

【改正の内容】

わが党が制定を目指す憲法は、建国の理想に発する精神的・道徳的伝統としてのわが国の国体を成文化した国体法と、その国体に基づいて統治機構の組織や権限を定める政体法とによつて構成される。その意図するところは, 国体法は悠久なる伝統に基づく不磨の大典とし、政体法は時代の変遷の中で改正を容易なものとするところにある。

政体法については、わが国の政体は元々立憲君主制であり、ここに近代国家としての立憲主義に基づく法治体系を前提とし、国会・内閣や国軍のあり方及び国民の権利・義務・財政制度や地方制度など、国家運営の基本を定める内容とする。昨今の各種憲法試案は、政策レベルの考へを憲法条項として入れる傾向が強いが、わが党の試案はそれを排してゐる。

わが党が提示した改正案は先づ「国民主権」の虚構を排除することである。「主権」とは、英語では sovereign power であり、これは「最高の権力」・「絶対の権力」を意味する。かうした「最高の権力」乃至「絶対の権力」を国民が有するとするのは、あくまでも西洋における君民対立の歴史がもたらした結果と言へよう。かかる概念がわが国にそぐはないのは明らかであり、わが党としては「主権」は国家に属し、それを総覧し給ふのが天皇陛下と捉へるのが妥当と考へ、「国体憲章」第一条にこれを正しく復元し明文化してゐる。

第二条の「天皇は、神聖にして侵すべからず」は,帝国憲法第三条に規定されてゐる条文であり、これについて伊藤博文が『義解』において「法律ハ君主ヲ責問スルノ力ヲ有セズ。独リ不敬ヲ以テ其ノ身体ヲ干涜スベカラザルノミナラズ、併セテ指斥言議ノ外ニ在ル者トス」と説いてゐる。このやうに憲法において聖上の政治的不答責を明らかにしてゐるに関はらず、 戦後占領軍に阿諛する学匪は条文の明確な真意を敢て曲解して捉へ、ただ天皇の神聖性を強調するだけの文辞とし、それは昭和二十一年元旦の所謂「人間宣言」によつて否定されたとの論を流布したのである。

第五条に「天皇は、国軍を統帥す」を明文化したのは、明治元年三月十四日の「国威宣布の宸翰」に、「中葉朝政衰てより、武家権を専らにし、表は朝廷を推尊して、実は敬して是を遠け」と仰せ給はられてゐるやうに、兵馬の権を決して私すること無きやう、賢き聖上が全てを総覧し給ふと共に、忠誠の対象としての御存在を明らかにするのが本条の主眼である。

政体法の第三章に国軍を置いたのは、独立国としての国防を米国に依存してゐる占領時代の延長を払拭し、国家の矜持と国益の擁護を目途とする軍としての性格を明確にするためである。即ち総理府の外局であつた防衛庁から、独立官衝としての防衛省に昇格したが、性格的には相変らず軍法も無いままの曖昧な存在であることを認識しなければならない。例へば国民同胞が国家犯罪によつて粒致されても、米国の対応に頼らざるを得ないのは月正に国家としての機能を喪失してゐると断定できよう。

最近の傾向として国内法より国際法を優位に置く条文を定める国が多くなつて来てゐるが、わが党はこの方針を肯んじることが出来ない。それは現在における国際法及び国際条約が、各国の力関係によつて大きく左右されるからである。そのことは昭和十六年四月に締結した日ソ中立条約にソ連は一方的に違反し、条約有効期間中の昭和二十年八月九日に一斉に侵攻を開始した事実によつて示されてゐる。即ち昭和二十年二月に米英ソの首脳が会して、わが国固有の領土である南樺太千島列島全島の割譲を約した上で、中立条約を破棄して対日参戦を合意させたヤルタ秘密協定が存在する。その結果シベリア抑留や現在も継続してゐる北方領土占領といふ現実を被つてゐるわが国の立場としては、斯くの如く各国の力関係によつて蹂躙される国際法及び国際条約の現状について全幅の信頼を置くことが出来ないのは当然であらう。

ここに提示したのは国家の基本法である「国体憲章」と「日本国憲法」とであるが,今日問題となつてゐる「皇室典範」については、『義解』に「皇室典範ノ成ルハ、実ニ祖宗ノ遺意ヲ明徴ニシテ子孫ノ為ニ永遠ノ銘典ヲ胎コス所以ナリ」と説いてゐるのに基づき、わが党としてはこれを「国体法」を補完する法規と位置付けてゐる。

わが国の立憲主義は、政務法としての憲法と、宮務法としての皇室典範との法体系によつて成立してゐる。法理としては、国家を法人と看倣す機関説に基づく憲法、「皇室」を天皇を家長とする一個の「家」と解釈しての皇室典範とを以て、府中と宮中とを明確に弁別して、各々規律したのである。このことは明治四十年一月三十一日勅令第六号によつて制定された「公式令」に於いて、宮務法と国務法との峻別を定められたのによつても判然としてゐる。

而して皇室典範は権力闘争を超越したところの法規であり、『義解』に「将来巳ムヲ得サルノ必要ニ由リ其ノ条章ヲ更定スルコトアルモ、亦帝国議会ノ協賛ヲ経ルヲ要セサルナリ……臣民ノ敢テ干渉スル所ニ非サルナリ」と説く如く、皇室に関する事柄は、天皇陛下御躬から総撹し給ひ、宮内大臣が輔弼して処理する法制度であり、これを皇室自律主義と称する。

今日の問題は、皇室の尊厳が政府上の制度の中に収斂されてゐることである。

米国は、昭和二十一年一月七日に承認した国務・陸軍・海軍三省調整委員会による「日本の統治体制の改革」(SWNCC228号)を十一日に太平洋軍総司令官に送附してをり、その中に「天皇は、一切の重要事項につき、内閣の助言にもとづいてのみ行動するものとすること」と、畏多くも皇上を政府の掣肘下に置く「安全装置」としての意図を明確に示してゐる。

而して昭和二十一年二月十三日に提示されたGHQ草案の第一章天皇の第一条に「皇帝ハ……其ノ地位ヲ人民ノ主権意志ヨリ承ケ之ヲ他ノ如何ナル源泉ヨリモ承ケス(外務省仮訳、以下同断)」と規定し、第二条に「皇位ノ継承ハ世襲ニシテ国会ノ制定スル皇室典範ニ依ルヘシ」として、畏き皇室の自律権を完全に剥奪したのである。更に執拗に第二章人民ノ権利及義務の第十四条に「人民ハ其ノ政府及皇位ノ終局的決定者ナリ」と定めてゐたが、さすがにこの条文は削除されるに至つた。

畏き皇室の自律性を損ふ典範改正について、二月二十二日松本烝治国務大臣が総司令部を訪ねた際に、ケイデイスは「イギリスの国王がさうであるやうに、天皇も法の下にあるものとした」と答へ、ホイツトニイは「皇室典範も国会が制定するのでなければ、この憲法の目的とするところは損はれる。これは本質的な条項」と述ぺてゐる。

かくして政務法の下位に置かれることになつた現行「皇室典範」は、日本国憲法(占領憲法〕第二条の「国会の議決した皇室典範」の文辞に基づき、第百条二項の「この憲法を施行するために必要な法律の制定……は、前項の期日よりも前に、これを行ふことができる」を以て、枢密院の諮詢及び議会の協賛を経て、昭和二十二年一月十六日法律第三号の公布番号を持つ一法律として制定された。

畏くも皇室の家法(Imperial House Law)を、臣である国民が議して、これを法律化するのは、わが国に於いて絶対にあり得べからざる事態と認識しなければならない。占領軍はわが国の井然と整へられた法秩序を強制的な権力を以て悉く破壊せしめ、自らが作成した歪曲せる法体系を強要したわけである。ここに畏き皇室の尊厳が貶められ、今日の如き忌々しき問題が惹起されてゐるのである。

わが党はかうした占領施策を継続してゐる所謂戦後体制を解消して、速やかに本然の状態に恢復することを主張してをり、その最重要課題として「憲法」及び「皇室典範」の復元改正試案を提示する次第である。極めて不遜ながらわが党の「皇室典範」復元改正案の要諦は、第四十二条の「皇族ハ養子ヲ為スコトヲ得ス」を、「皇族は同族を養子と為すことを得る」と改めることにある。『義解』は「皇族互ニ男女ノ養子ヲ為スコトヲ禁スルハ、宗系紊乱ノ門ヲ塞クナリ」 と説いてゐるが、これは当時の状況として維新期に還俗され給うた宮を始め世襲宮々の増え給ふのを念頭にしての条規であり、 御祭祀の継承等を勘案すれば、斯様に改めるのが適切であらうと思慮される。『義解』に説く「宗系紊乱」の重大な危慎については、皇族会議を以て議する等の細則を定めた「皇族養子相統令」(仮称)の如きを皇室令」として制規することによつて、懸案事項への対処は可能であると判断してゐる。なほ御譲位については十分検討を要する重要な課題であるので後日に期することにする。

因みにわが党の「日本国憲法」案は、占領軍の意向を取り入れることに抵抗した内大臣府御用掛の佐々木惣一博士が昭和二十年十一月二十四日に、先帝陛下に奉答申し上げた改正案を参考にして作成した第一次試案を、更に専門的な見地から頂いた種々の意見を勘案し、これを集約して第二次試案としてここに提示した次第である。

国体憲章案

第一条 日本国は、万世一系の天皇之を統治す。
第二条 天皇は、神聖にして侵すべからず。
第三条 皇位は、皇室典範の定むる所に依り、皇男子孫之を継承す。
第四条 天皇は、祭祀並びに儀礼を司る。
第五条 天皇は、国軍を統帥す。
第六条 天皇は、国政又は公益上必要ある時、政府其の他公の機関並びに国民に対し親諭を発す。
第七条 摂政は、天皇の名に於て国権を総攬す。摂政を置くは皇室典範の定むる所に依る。
第八条 天皇崩ずる時は、皇嗣即ち踐祚し、祖宗の神器を承く。
第九条 即位の礼及び大嘗祭は、京都に於て之を行ふ。
第十条 踐祚の後、元号を建て、一世の間に再び改めざること。

日本国憲法案

【上諭】

【第一章】 天皇

第一条 天皇は、国の元首にして国権を総攬し、此の憲法の条規に依り之を行ふ。
第二条 天皇は、国会の協賛を以て立法権を行ふ。
第三条 天皇は、法律を裁可し其の公布を命す。凡て法律勅令其の他国務に関る詔勅は国務大臣の副署を要す。
第四条 天皇は、国会を召集し其の開会閉会停会及衆議院の解散を命ず。
第五条 天皇は国会の召集在らざる場合に於て、公共の安全を保持し、又は其の災厄を避くる為、緊急の必要に由り、枢密院の助言を得て法律に代るべき勅令を発す。
 此の勅令は次の会期の初に国会に提出し国会に於て承認を得。
第六条 天皇は、法律を執行する為に、公共の安寧秩序を保持する為に、又は国民の幸福を増進する為に、必要なる命令を発し、又は発せしむ。但し命令を以て法律を変更することを得ず。
第七条 天皇は、内閣総理大臣・衆参両院議長・最高裁判所長官の三権の長を親任し、外国大使の信任を行ふ。
第八条 天皇は、戦を宣し和を講し、及諸般の条約を締結す。
第九条 天皇は、戒厳を宣告す。
第十条 天皇は、栄典を授与す。
第十一条 天皇は、大赦特赦減刑及復権を命ず。

【第二章】 国民

第十二条 日本国民たるの要件は、法律の定むる所に依る。
第十三条 日本国民は、其の能力に応し公益の為必要なる勤務を為すの義務を有す。
第十四条 日本国民は、公共の秩序に反せざる限り人間必需の生活を享受するの権利を有す。
第十五条 日本国民は、法律命令の定むる所の資格に応し均く官吏に任せられ、及其の他の公務に就くの権利を有す。
第十六条 日本国民は、法律の定むる所に従ひ国防の義務を有す。
第十七条 日本国民は、法律の定むる所に従ひ租税其の他の公課を納むるの義務を有す。
第十八条 日本国民は、居住移転及職業の自由を有す。
第十九条 日本国民は、故なく逮捕監禁審問処罰を受くることなし。
第二十条 日本国民は、教育を受ける権利及義務を有す。
第二十一条 日本国民は、裁判を受くるの権利を有す。
第二十二条 日本国民は、其の法律に定むる以外は、許諾なくして住居に侵入せられ、及捜索せらるることなし。
第二十三条 日本国民は信書及之に準すへきものの秘密を侵さるることなし。
第二十四条 日本国民は其の財産権を侵さるることなし。
 公益の為必要なる制限は法律の定むる所に依り且特別の事由なき限相当の補償を以てす。
第二十五条 日本国民は、信教の自由を有す。
 安寧秩序を妨くる者、国民たるの義務に背く者、及保護奨励を望む者に対し加ふる制限は法律の定むる所に依る。
第二十六条 日本国民は、公共の秩序に反せざる限り、思想学問芸術及言論著作印行集会結社の自由を有す。
第二十七条 日本国民は、別に定むる所の規程に従ひ請願を為すの権利を有す。
第二十八条 本章に示したるものの外、日本国民の自由は、戒厳等の特別な場合を除き妨げられない。
第二十九条 第二十七条乃至第二十八条は、法律に別段の定なき限、日本国民に非さる者に付、之を準用す。

【第三章】 国軍

第三十条 国土保全、国家の安全保障及国民保護のため国軍を置く。
第三十一条 国軍の指揮は内閣総理大臣が統括し、軍の編成及常備兵額は法律を以て之を定む。
第三十二条 国軍は軍法の定むるところに服す。

【第四章】 内閣及枢密院

第三十三条 内閣総理大臣は、天皇を輔弼し其の責に任ず。
第三十四条 内閣総理大臣の選任は、国会の過半数による別に定むる所の規程に依り、一定の手続を経て之を行ふ。
第三十五条 内閣総理大臣は、官制の定むる所に依り国務大臣を選任し内閣を組織す。但し其の過半数は衆議院議員の中から選任す。
第三十六条 枢密院は、官制の定むる所に依り天皇の諮詢に応へ其の意見を上奏す。
 天皇は重要の国務に付、枢密院に諮詞することあるべし。

【第五章】 国会

第三十七条 国会は、衆議院参議院の両院を以て成立す。
第三十八条 衆議院は、衆議院法の定むる所に依り、公選せられたる議員を以て組織す。
第三十九条 参議院は、参議院法の定むる所に依り、選任せられたる議員を以て組織す。
第四十条 何人も同時に両議院の議員たることを得ず。
第四十一条 凡て法律は国会の協賛を経るを要す。
第四十二条 両議院は、政府の提出する法律案を議決し、及各々法律案を提出することを得。
第四十三条 両議院の役割は、議院法の定めるところにより衆議院の議決を優位とする。
第四十四条 両議院は、法律又は其の他の事件に付、各々其の意見を政府に建議することを得。但し其の採納を得さるものは、同会期中に於て再ひ建議することを得す。
第四十五条 国会は、毎年之を召集す。
第四十六条 衆議院解散を命せられたるときは、勅命を以て新に議員を選挙せしめ、法律の定むる処により之を召集すへし。
第四十七条 両議院は、各々其の総議員三分の一以上出席するに非されは、議事を開き議決を為すことを得す。
第四十八条 両議院の議事は、過半数を以て決す。可否同数なるときは議長の決する所に依る。
第四十九条 両議院の会議は公開す。
第五十条 両議院は、各々天皇に上奏することを得。
第五十一条 両議院は、国民より呈出する請願書を受くることを得。
第五十二条 両議院は、此の憲法及議院法に掲ぐるものの外、内部の規律維持等に必要なる諸規則を定むることを得。
第五十三条 両議院の議員は、議院に於て発言したる意見及表決に付、院外に於て責を負ふことなし。但し議員自ら其の言論を演説刊行筆記又は其の他の方法を以て公布したるときは一般の法律に依り処分せらるへし。
第五十四条 両議院の議員は、現行犯罪又は内乱外患に関る罪を除く外、会期中其の院の許諾なくして引続き逮捕せられ、及新に逮捕せらるることなし。
第五十五条 国務大臣及政府委員は、何時たりとも各議院に出席し及発言することを得。
第五十六条 両議院は、各々総議員十分の一以上の賛成を以てする動議に基く決議あるときは、特定の国務大臣及其の院の議員の職務に付、不当の事項存するや否やを審査する為査問委員会を設く。

【第六章】 司法

第五十七条 司法権は天皇の名に於て法律により裁判所之を行ふ。裁判所の構成は法律を以て之を定む。
第五十八条 裁判官は、法律に定めたる資格を具ふる者を以て之に任ず。
 裁判官は、刑法の宣告又は懲戒の処分に由るの外其の官を免ぜらるることなし。
 懲戒の条規は法律を以て之を定む。
第五十九条 裁判の対審判決は之を公開す。但し安寧秩序又は人権を害するの虞あるときは法律に依り又は裁判所の決議を以て対審の公開を停むることを得。
 前項裁判所の決議に対し法律の定むる所に依り当事者弁護人及傍聴人異議を申立てたるときは、裁判所は再議することあるへし。
第六十条 犯罪の検察は、法律に依り検事之を行ふ。
第六十一条 裁判官及検事は、公正の態度に付社会の信頼を保持すべし。
 裁判官及検事は、相互独立して共に司法権の適正なる運営を期し両名職域の混淆なきことを要す。

【第七章】 財政

第六十二条 新に租税其の他の公課を課し及課率を変更するは、法律を以て之を定むへし。但し報償に属する行政上の手数料及其の他の収納金は此の限に在らず。
 国債を起し及予算に定めたるものを除く外、国庫の負担となるへき契約を為すは、国会の協賛を経べし。
第六十三条 国会の歳出歳入は、毎年予算を以て国会の協賛を経べし。
 予算の款項に超過し又は予算の外に生したる支出あるときは、後日国会の承諾を求むるを要す。
第六十四条 予算案は、前に衆議院に提出すへし。
 予算案に付、参議院に於て衆議院と異なる議決を為したる場合には、政府は衆議院の請求に依り参議院の再議を求むることを要す。
第六十五条 皇室経費は、現在の定額に依り毎年国庫より之を支出す。
 国会は皇室経費に付、新に考慮を為すことを政府に求むることを得。
 前項の場合に於て政府同意するときは定額の増減を計上し国会の協賛を要せず。
第六十六条 憲法上の大権に基づける既定の歳出、法律の結果に由る歳出、及法律上政府の義務に属する歳出は、政府の同意なくして国会を廃除し又は削減することを得ず。
第六十七条 特別の須要により政府は予め年限を定め継続費として国会の協賛を求むることを得。
第六十八条 公共の安全を保持する為緊急の需用ある場合に於て内外の情形により国会を召集すること能はざるときは、政府は勅令に依り財政上必要の処分を為すことを得。
 前項の場合に於ては次の会期の初に国会に提出し其の承諾を求むるを要す。
第六十九条 国会に於て予算を議定せず、又は予算成立に至らざるときは、政府は前年度の予算を施行すべし。
第七十条 国家の歳出歳入の決算は会計検査院之を検査確定し、政府は其の検査報告と倶に之を国会に提出すへし。
 会計検査院は、天皇に直隷し国務大臣に対し独立して其の職務を行ひ其の意見を上奏するものとす。
 会計検査院の組織及職権は、法律を以て之を定む。
 会計検査官の資格其の身分の保障に付ては第五十八条を準用す。

【第八章】 地方自治

第七十一条 地方公共団体の組織及運営に関する事項は地方自治の本旨に基いて法律で是を定む。
第七十二条 地方公共団体には法律の定むる所に依り其の議事機関として議会を設置す。
 地方公共団体の長其の議会の議員及法律の定むる其の他の吏員は其の地方公共団体の住民が直接此を選挙す。
第七十三条 地方公共団体は其の財産を管理し事務を処理し及行政を執行する権能を有し法律の範囲内で条例を制定することを得。

【第九章】 補則

第七十四条 将釆此の憲法を改正するの必要あるときは、勅命を以て議案を国会の議に付すべし。
 此の場合に於て両議院は各々其の総員三分の二以上出席するに非ざれば議事を開くことを得ず。出席議員三分の二以上の多数を得るに非ざれば改正の議決を為すことを得ず。
第七十五条 国会は憲法改正の必要を議決したる場合に於ては勅旨に依り国民投票を行ひ国民投票の結果過半数を得たる場合は改正の必要を認む。
 国民投票を行ふの方法は法律を以て之を定む。

皇室典範改正基本方針

皇位継承は男系を維持すべし

 

 

  1. 憲法と同じく皇室典範を復元改正す

 

  1. 宮内庁を独立官衙の宮内省とし、宮内大臣を設く

 

  1. 皇室会議を皇族会議に復す

 

  1. 皇室祭祀令を回復す

 

  1. 旧宮家の復籍を図る

 

  1. 皇族は、皇統に属する男子を養子にすることができるとす

 

『政治』政策方針

維新政党・新風本部政策委員会
平成十一年八月

 我が国の政治制度(政体)の原則は、歴史的に為政者は常に天皇の親任によつてその正統性を保証されるといふ、国体に基づく国家統治原理にある。そして、我が国の近代における政治理念の淵源は、明治元年の「五箇条の御誓文」に発する。この精神は、我が国体の歴史的伝統に基づく民意の尊重と独裁の否定であり、近代国家における権力分立による間接民主制代議政治、即ち議会政治と相通ずる理念である。我が党は、現代における我が国の政治制度(政体)として議会制民主政治を採用し、この理念を現代社会の諸制度に適用し、国家生成の理念に基づく法による政治を目指す。

 また、民主政治を支へる立法・司法・行政の三権分立は、近代西欧の文化的価値観に基づく分権統治形態として有効なものであるが、我が国の如く西欧とは全く異なる価値観を有する国家の運営に適用するには不足がある。よつて、我が国の政治風土や国民的思惟方法においては、三権に監察を加へた四権分立とすることも考へられて良い。

【議院内閣制】

 我が党は、国民が議会を、議会が内閣以下の行政権を統制するといふ議会政治を堅持する立場から、議会の多数党より内閣総理大臣を選ぶ議員内閣制を維持する。その内閣は、全員が連帯責任を持ち、同一の政治的見解を有する政党内閣制であり、内閣はその権限を天皇の親任の下に正統なものとする。従つて、間接民主制を否定する首相公選制は採らない。しかし、現在の国務大臣の半数は国会議員でなければならないといふ憲法の規定は、立法と行政の関係を不明確にするものであり、国務大臣は民間からの登用を原則とするべきである。また、大臣を補佐するものとして副大臣制を導入し、政務次官制を廃止することによつて、内閣主導の政治を確立する。

【立法】

 政党は主義主張を持つて政治に携はるべきであり、その立法府は国家・国民の将来を見据ゑ、その繁栄と福祉向上のために立法を行ふのが本姿であるが、今日の議会は国家・国民のための議員立法や討論の場としての役割を果たしてをらず、単に政党の権力争ひの場でしかなく、議会の権威は地に堕ちてゐる。このやうな議会のあり方や運営は、根本的に見直して改めなければならない。

◎議会

 我が党は、政治の暴走を許さないためにも現行の二院制を維持するが、今日の如く両院ともに政党の勢力争ひの場と化すならば、二院制の意義が問はれることとなる。あまつさへ、小選挙区・比例代表制といふ選挙制度の導入が、両院の存在目的喪失に拍車をかけてゐる。二院制の目的は、二重の審議において慎重を期し、国家・国民の損失を防ぎ、国家の安定と国民の福祉向上に寄与することにある。従つて、そこには二院の明確な差違がなければ両院相互の統制機能は働かず、健全な国政の運営も不可能となる。よつて、衆議院は現行通り国民の直接投票によつて議員を選出し、参議院は選挙によらず有識者や各界代表を議員として選任し、良識の府とする。

 議会運営には、政党間の政策を軸とした対立同意の原則、多数決の原理、妥協の原理といふ民主主義のルールが必要であるが、今日の議会ではそれらが失はれてをり、議会の目的に沿つた運営方法の再検討によつて、議会そのものの権威回復が必要である。そのためには、行政官僚である政府委員の答弁を廃止し、大臣もしくは副大臣のみに答弁を限定し、議会での討論を活性化させ、立法府の職務と責任を明らかにするとともに、審議や議決の徒らな遅延を禁ずる。また、今日では職能が専門化し、審議は委員会中心とならざるを得ないが、審議は国家機密上の必要性のあるものを除き、原則として全て公開し、自由討議制も取り入れる。

◎議員

 我が国の如く情報化や輸送手段の発達した社会において、現在の議員定数は過剰であり、国勢調査に基づいて四年毎に選挙区の人口に応じて議員定数を見直し、現在の三分の二程度に削減する。同時に、議員の職権に基づく活動を促進するために、政策スタッフや政策調査費を大幅に拡充し、議員立法などを行ひ易くする。また、議員の職務に関係するもの以外の報酬授受を禁じ、逮捕と同時に議席は抹消されるなどの内容を含む厳しい議員倫理法の制定も必要である。

◎選挙制度

 現行の小選挙区・比例代表制は、大政党には有利であつても小政党には不利な制度であり、公平であるとは言へない。民意の正しい反映、政治への新人参加を促進するためにも、衆議院選挙では中選挙区制に戻し、比例代表制を取り入れ、議員といふ人を選ぶのではなく政策を軸とする政党を選択する制度に改める。

  また、政党助成法の廃止、政治資金法の改正、政党法や腐敗防止法の制定により、政治資金のあり方や政党・議員の倫理向上、職能の強化に努める。

【司法】

 司法は法の下の公正において、国民社会の正義を明らかにし、その安定を司るものである。しかし、現代社会の急激な変化と複雑化は、犯罪発生の増加と多様化の傾向にある。しかも、国際化に伴ふ外国人による犯罪においては、我が国の司法のあり方が問はれ、司法の新しい運用と制度が求められてゐる。

◎検察機能の充実

検察は、犯罪の複雑化・多様化・広域化・国際化に対応するために、検察機能の充実強化が必要である。これらの犯罪防止には立法府による法的整備が必要であるとともに、検察での迅速な処理手続のための見直しや合理化を図る。また、巨悪を許さないといふ姿勢に政治的圧力を受けることがない施策を進めるべきである。

◎裁判の迅速化

 公正な裁判を行ふことは司法の務めであり、慎重な裁判を進める上でも三審制は維持する。しかし、近年は困難を極める長期裁判が増加し、人権問題ともなつてゐる。それらの解決には、裁判運営の改善、裁判官や職員の増員、事務処理の合理化を図るとともに、単純な刑事訴訟や少額の民事訴訟においては迅速に解決できる処理機関の設置を導入し、様々な分野を含むやう拡充する。また、近年顕著なのは、加害者の人権保護を主張するあまりに、被害者の利益や権利、そして害を被つたといふ立場が蔑ろにされてをり、法的にも警告や中止命令などを含めて被害者擁護を優先すべきである。

◎更生機能の充実

 犯罪から国民を守り、法秩序を維持するには、警察の犯罪防止とともに罪を犯した者の更生と社会復帰への対策が必要である。しかし、暴力団・覚醒剤常習者・再犯者などの矯正処置困難者の増加、高齢者や外国人受刑者の増加が深刻な問題となつてゐる。そのためには、監獄法や更生施策などの法整備、社会における経済的・精神的な更生保護などのソフト面での充実が必要である。

【行政】

 我が党は、国家のあるべき姿として小さい政府で強い国家を目標としてゐる。然るに今日の行政機構は、組織の肥大化・硬直化を招いてをり、このまま推移するならば近い将来において国際的にも国内的にも柔軟に対応できなくなるのは明らかである。従つて、行政は国民へのサービス提供と統治機能の円滑な運用を図るといふ本来の目的に徹するべきであり、同時にそれは、数合はせ的な省庁再編ではなく、それぞれの目的に合致し、行政上の必要に応じて設置されるべきであり、行政行為そのものを目的化してはならない。我が党は行政機構を根本的に見直す。

◎行政改革

 中央での行政改革は、統治機構の一環としての行政の目的と理念を再確認し、中央での政治と地方での政治の役割を見直し、行政のあるべき全体像を再検討することに始まる。そのためには、大幅な規制緩和と地方分権が必要であり、副大臣制によつて政治の官僚への統制監督を強化する。また、特殊法人や事業団のあり方を見直し、一定の年限を経過したならば、数年毎に存続を審査するサンセット制度を導入し、補助金のあり方も見直す。更に、縦割り行政の弊害を除くために国家公務員は内閣が一括採用し、採用後に各省庁に配属し、省庁を越えた人事異動、民間出向を推進し、国民の公僕としての厳しい倫理観を求めると同時に、待遇条件を含めて公務員の身分を社会的に安定したものにし、天下りなどの弊害をなくす。

 中央での規制緩和や地方分権の受け皿となるのは地方自治体であるが、今日のままのあり方では中央・地方とも行政改革の実を挙げることはできない。住民の要望とは無関係な不要不急の施設建設、政治や行政との特定の利益団体との癒着、税金の無駄遣い、公務員の縁故採用など中央以上の腐敗・非効率が存在する。従つて、地方においても中央と同時に、地方自治の目的や理念に沿ふ行政改革が必要である。そのためにも、地方政治での許認可権の削減や廃止、民間への業務委託などによつて公務員の削減と行政の効率化が必要である。

◎行政区分の改革

 行政改革によつて効率的な行政を目指すならば、今日の如く行政区分を細分化しておく必要はなく、行政区分の再検討も考へなければならない。基本的には市町村の合併・再編成によつて行政の効率化を進め、全体として現在の十分の一程度に統合する。但し、統合を進めるにおいては、効率のみを求めるのではなく、地域の文化的特性を十分に尊重しなければならない。

◎行政監視

  行政を監視し、健全で効率的な運用を図るのは、本来議会の役割であるが、今日の国会や地方議会がその役割を果たしてゐるとは言ひ難い。行政を監視するには、議員を選出する国民に十分な行政情報を必要とし、そのためにも国防や外交機密以外の情報公開制度は必要である。

 また、三権に監察を加へるならば、現行の検察機能、会計検査院や公安委員会の業務など、各機関の監査機能を統合することによつてより効率化を図ることができる。官僚が官僚を監視することについては批判もあらうが、公的監視制度であれ、独立法人であれ、監察は人の問題であり、国民の思惟形態を考へるならば大差はない。

【地方自治】

 我が党は、地方は広い意味での民族の活力の温床であり、地方の活性化が国家の健全さを保障するものであると考へてゐる。即ち、全国的に均一化された文化よりも、それぞれの地域の伝統や習慣といふ多様な特性に裏打ちされた地方独自の文化に価値がある。そのやうな価値を維持し、将来にわたつて形成する目的での地方自治や地方分権、行政区分の改革は進めるべきものである。

 従つて、地方自治法を根本的に見直す中で、中央の持つ許認可権限を大幅に地方へ移譲する法整備の推進、国税や地方税の財源を見直し、政府補助金に頼らない独自の経済体制を確立し、地方自治体独自の施策を行ひ易くするべきである。同時に、このやうな地方政治には、当然のこととして自治体及び住民に責任があることも自覚しなければならない。また、国防や外交などの地方自治体が関与すべきでない事項について住民投票を行ふことは、中央と地方の役割分担への干渉であり、政府の基本政策の継続性や安定を損なふものであり禁止する。更に、外国人への地方参政権の付与、公務員の国籍条項撤廃は、住民の権利と国家主権を侵すものであり、容認しない。

『外交』政策方針

維新政党・新風本部政策委員会
平成九年二月

〈戦後外交政策の現状〉

 我が国の戦後外交では、現行占領憲法下、戦後体制容認の保守政権によつて平和主義・国連主義が標榜されてきた。しかしその実態は、対米従属による経済的利益のみを追求した一国平和主義に過ぎず、独立国としての矜恃は無視され、世界の国々からは「精神なき国家」と評されてきた。冷戦終結後の国際社会における外交規準は、国益確保が最優先となり、厳しい国際社会状況の中でトラブルさへなければ良しとする我が国の外交姿勢が、国家の尊厳及び国益を著しく害してゐる。

 今日の世界を主導するものは欧米の価値規準であるが、これからの国際社会はアングロ・サクソン文明のみならず、アジアや中東などの文明の多元的共存を理念とする明確な国際認識が必要である。その中で、我が国独自の文化文明の擁護を大きな目的として、国益の確保を図る外交の確立が喫緊である。そのためには孤立を恐れず、国家の目的を実現しようとする力、即ち国家意志の確立が最重要前提である。

〈外交の目的〉

 外務は内務の延長上に位置するものであり、外交は外務の最先端に位置する。その目的は政治・経済・安保などの分野における国益の確保と擁護、在外邦人の生命・財産の保護であるが、今日においては自由主義などの国際的に共通する価値観の擁護も挙げられる。

〈外交の基本姿勢〉

 国際社会とは、歴史観・価値観の異なる国家によつて構成されてをり、それを認めた上でなければ国際ルールは成立し得ない。従つて、外交の基本姿勢は外国の干渉を許さず、国家の主権を守り独立国家としての名誉を断固として守るものでなければならない。又、現在の国際社会において、国際法や国際的ルールは一定の効果を持ち始めてゐるが、そのルールを遵守させるものは軍事力であり、力の裏付けのない外交は無力である。

 即ち、現行占領憲法の桎梏から脱却することなしでは本来の外交姿勢の保持は覚束ない。

〈外交の基本方針〉

 我が国の外交基軸は、将来においても米国との協調が重要ではあるが、当然のことながら独立国家として主体的な国益外交が大前提であることは論を俟たない。資源・エネルギー・戦略物資の安定供給の確保や対外企業活動を支援するためには、アジア・アフリカ・中南米の友好国とは様々な分野での関係強化を図り、非友好国への対応策が重要である。これからの我が国はアジアの安定と繁栄のために、これまで以上にアジア地域への積極的役割を果たすといふことが外交の重要な柱となる。東西冷戦終結後は、イデオロギーによる外交は終焉し、国益がぶつかり合ふ、厳しい国際社会の現実である。経済成長の著しいアジア地域においては、日米欧の利害の衝突が既に生じつつあり、特に中国・米国・日本の関係は微妙なものがある。我が国のアジア外交の要諦は、対中政策に帰結する。中国の覇権には対峙し(台湾独立・チベットウイグル地区独立を支持)、膨張政策には警戒が必要である。対朝鮮半島に対しては、北朝鮮の非道に手を貸すことなく現体制の崩壊に冷静に対処すべく準備し、韓国の対日姿勢へは国交断絶を辞せず断固たる意志表示(竹島問題・過去の歴史認識問題について)を示す。

 国家財政多難な折り、ODAを外交戦術の中で見直して、NGOの位置付けを含め援助の効率化を図る必要もある。

〈外務省の改革〉

 現在の「省益あつて国益なし」の外務省の現状が糺されなければならないが、外務省の国際情勢の動向把握や海外邦人の危機管理のあり方は、外交目的に鑑みて不徹底であり、情報収集能力・分析能力・対応策の向上を図るための機構改革が必要である。

〈領土問題〉

 北方領土(全千島列島)・竹島・尖閣諸島は、歴史的事実として我が国固有の領土であることは明白であり、ロシア・韓国・中国・台湾の領有権主張は断固排さねばならない。紛争の解決に時間はかかつても、我が国の主張が正しいことを国際社会に認識させ、公式・非公式にも制裁・威嚇を含めたあらゆる施策・手段を行使して、実効支配の実を挙げることが肝要である。

〈国連改革〉

 国連はその創設時の目的を見直して現在の存在意義を再確認し、その機能を充実させることによつて、国際紛争の調停や解決、世界共通の課題克服のための国際機関として発展させることが、我が国にとつてもより良い方向である。その施策として、安保理・常任理事国は総会において選出し、常任理事国を固定したり特別な権限を与へるべきではなく、常任理事国の定数は再検討する。そして、大国による国連利用を抑止する施策を行ふ。又、我が国の常任理事国入りは国内体制の改善(憲法改正)が前堤である。

『国防』政策方針

維新政党・新風本部政策委員会
平成九年二月

〈戦後国防政策の現状〉

 戦後の我が国は、占領政策によつて強圧的に制定された現行憲法下、独立国家としての自主的国防体制は否定され、軍事を政策することを忌避する国家社会の基本姿勢が常識とされてきた。そして、我が国の安全保障は、米国によつて庇護保証されることを当然とするか、平和を念仏の如く唱へれば自動的に平和な国際環境がもたらされるとするか、いづれにせよ他者依存の甘えの精神構造が今日に至るまで牢固として国民精神を呪縛し続けてきた。米国の恣意によつて発足させられた自衛隊をめぐる合憲・違憲の不毛の論議は、現行憲法を肯定的前提としてをり、国防についての国家としての基本を無視したまま日米安保条約の是非論に終始する今日の現況を結果してゐる。

 先年、ソ連邦の崩壊によつて東西対立といふ国際政治構造の大枠が消滅し、新たな国際秩序を求めて内外環境は流動してゐる。亦、我が国の竹島や尖閣諸島をめぐり、韓国・中国・台湾が由なき領土主張を行ひ、北方領土と共にそれらが重要な政治課題として浮上してきた。今日、我が国が、戦後体制を克服して名誉ある独立を冀求するならば、憲法問題をも含めた新しい国防のあり方が求められてゐる。

〈国防の基本理念〉

 軍とは武力を保持する国家唯一の組織であり、それ故に国軍の存立目的は国家・国民にあつては常に明確にされてゐなければならない。国軍は国家機構の一部を成すものであつても、その目的は時代の変遷によつて変化する政府=政体を護るものではなく、我が民族の歴史・伝統によつて形づくられた国のあり方=国体を護るものである。それによつて国家の独立、国民の安全、領土の保全などの目的が生まれる。

〈統帥権と指揮権〉

 我が国の国体を体現されるのが元首たる天皇であり、吾等が制定する新憲法においては統帥権は天皇に帰属する。天皇は国家意志の源泉であり、それは国軍の精神的統合の源でもあり、栄誉の授与者である。国軍の指揮権は天皇より内閣に委任され、内閣総理大臣が行使する。指揮権の行使は国家意志の発動であり、その原則は政治優位(シビリアンコントロール)である。従つて、指揮権を掌握する内閣総理大臣は、国家意志の発動によつて引き起こされる全ての事柄について責任を負ふ。

〈法制上の位置付け〉

 憲法改正時において、自衛隊を改組して国軍を創設し、憲法に国軍の存立と目的を明記し、国家からは名誉を、社会からは尊敬を受ける地位に置く。そして、一般刑法とは異なる軍法を制定して軍法会議を設置し、新たに戒厳令・有事法・防諜法なども制定し、国防の円滑な遂行ができるやう、法体系の整備によつて社会制度の改善を進める。

 兵役は国民の権利であり義務であり、国民皆兵が原則であるが、志願制をも含めて法律の定めるところにより国民は兵役を負ふ。又、国民はその青年期に選択的に国防に関する任務につく制度を設ける。

〈国家機構上の位置付け〉

 国家の基本要件としての安全保障政策を遂行する上で、現在の防衛庁の如く内閣の外局としての国家機構上の位置づけでは、国家の支柱としての責任は全うできない。従つて、庁から省に昇格させ、名称の変更、目的に沿ふ組織改編、権限の付与を行ふ。そして有事に際して、海上保安庁・警察庁・消防庁などの行政機関の組み入れ、補助活動が可能となる施行細則を決定して連携体制を緊密にし、平時においても危機管理の一助とする。

 また、これまでの文官優位を正して文官武官の対等化を促進し、統幕議長他を認証官として叙勲や待遇を改善し、殉職・戦死に対する国家補償制度を設ける。

〈安全保障上の施策〉

 新憲法制定後は、現在の「国防の基本方針」「防衛大綱」を根本的に見直し、従来の専守防衛型の防衛政策から能動的国防政策への転換を図り、集団安全保障(日米安保条約他)を前提として国連PKO・PKF活動への参加を行ふ。

 現在の日米安保条約のあり方は様々な問題を孕んでゐる。新憲法制定後は、先づ日米安保条約の完全な双務化によつて在日米軍基地を縮小し、我が国の独自防衛を主に、米国の援助を従としなければならない。又、我が国の安全保障のあり方を考へる場合、日米二国間のみの軍事協定では不備であり、特にアジア地域における安全保障体制を模索することによつて戦争や紛争が起こりにくいシステムを築くことが必要である。

〈軍事上の施策〉

 新憲法制定後は、新国軍として、新安保政策に沿ふ統幕の権限強化、三軍の再編・装備の充実を行ひ、領土・領海・領空侵犯に対し、断固とした対応ができるやう国防行動規定を明確にする。そして、駐在武官等の派遣及び独自の通信衛星を含む情報・通信体制を強化し、食料・燃料・弾薬備蓄の増大、運輸・生産などの後方支援体制の充実、予備役制度・民間防衛制度の強化を図る。又、各種学校の充実と再編を図り、階級呼称等を復旧する。

 軍事技術の開発は国際関係を睨みつつも、全ての分野で可能な限りフリーハンドを得るべきであり、核兵器についても廃絶を目的としつつも、我が国の独立自尊のために保有の権利まで放棄しない。

〈教育上の施策〉

 新憲法制定後は、義務教育では自分の国は自分で守るといふ国防教育及び団体訓練、高等教育では平和を守るための安全保障講座の開設を進め、社会教育としての国防思想の普及のために一般国民に広く安保・軍事を学ぶ場を設ける。

〈当面の国防政策改善策〉

 憲法改正が当面見込めない現状の中で、維新政党・新風としては既成政党の国防政策が完全に行き詰まることを問題提起すると共に国防思想の普及に努め、憲法改正の機運が盛り上げることを当面の国防政策活動とする。

『経済』政策方針

維新政党・新風本部政策委員会
平成十年二月

一、戦後経済政策の総括

 大東亜戦争敗戦後のわが国政府は、戦時下で壊滅状況となつてゐた経済の復興を図り、国民を飢ゑから救ふことを内政の第一義とし、占領軍による占領政策の一環としての経済体制改変(財閥解体・農地改革・労働改革)に応じた。逼迫した日本経済を傾斜生産方式でどん底から這ひ上がらせた経済安定本部は、占領政策に積極的に乗じて経済復興に邁進した。朝鮮戦争特需も追ひ風となり、経済復興は順調に進展し、昭和二十七年四月二十八日の再独立を迎へることができた。

 しかし、この時既にわが国政府の日本再生方針は歪なものと化してゐた。即ち、占領下の経済復興優先策の著しい成果が、国家主権回復(国軍再建)意識の希薄化をもたらしてゐたのである。その基調が以後今日にまで至つてゐる。戦後政治五十年の諸矛盾の根底にある、戦後民主主義といふ悪しき時代精神の源である。

 経済的にはとにもかくにも焼跡に建物は再建され、疲弊した国民生活も徐々に貧しいながらも日常の安定を取り戻して昭和三十年代へと移行し、戦後はもはや終つたとも言はれ始めた。日本経済はアメリカの庇護の許ながら着実に上昇気流に乗り、敗戦による賠償金なども確実にアジア諸国へ支払ひ続けることができた。

 昭和三十五年の岸政権による日米安保条約改訂は、国家主権放棄の占領憲法体制(戦後体制)をも改める契機を得るべく企図されたものではあつたが、戦後民主主義は、まさに時代精神として定着してをり、岸政権は退陣を余儀なくされた。いつときの国家意識回復への試みは、これを最後として絶えて了つたのである。岸政権後の池田政権は、所得倍増政策を掲げて復興から成長へと目標転換した路線をひた走りに走り始めた。戦前からのわが国経済の体質である輸出主導型が一段とその性格を強めながら、わが国経済は戦前レベルに復して、ヨーロッパの背後に迫りつつあつた。しかし、未だ国際的日本製品の評価は安からう悪からうでしかなかつた。

 重厚超大型産業を牽引車としながら、昭和三十九年の東京オリンピックから昭和四十五年の大阪での万国博覧会を経て昭和五十年代前半までの間、国際経済が驚異的な技術革新時代を迎へる中で高度経済成長を果たした日本経済は、二度の石油危機を乗り越えてヨーロッパを追ひ抜き、アメリカに次ぐ世界第二位の経済大国と成り上がつてゐた。既にアメリカの保護の手を離れてゐた日本経済は、次第にアメリカ・ヨーロッパとの厳しい貿易摩擦を生じてゐた。国民所得も急速に上昇し、アメリカさへもが一目を置かざるを得ない日本経済のエネルギーは、欧米の敵視の対象とすらなつていつた。その様な経過を辿つた日本経済の帰結として、昭和六十年代のバブル経済があつた。

 バブル経済は、慢心の経済であり、不健全な経済であつた。土地や株や成長が永久的に右肩上がりであるとの錯覚の中で国民の多くが浮かれ、バブルはバブルが故に弾けて終つたのである。そして平成の十年間、バブル後の処理を先延ばししてきた日本経済は、先行き全くの不透明な大不況の中で喘いでゐる。

 この復興→成長→高度成長→バブル→低迷と辿つてきた日本経済の基調は、財貨には国も民族もなく、只々経済合理性といふ損得勘定のみにあつた。しかし、中長期的に見れば、経済が国家・社会共同体と特殊な例を除いて無縁に自律できる筈もなく、昨今の日本経済がそれを雄弁に物語つてゐる。日本経済が国家主権といふ根源の価値を無視し得たのは、あくまでもアメリカの保護下にあつてこそである。アメリカの強力な競争相手となつてからは、巨大なアメリカが発現する国家意志としてのアメリカ経済に押へ込まれていくことは当然の結果なのである。そして、この状況を放置すれば、いづれわが国は決定的な経済的敗北を喫して再度占領状態に貶められる危険性がある。その様な事態を回避すべく新しい政治方針が急務であるが、それを実行する政治主体は、戦後体制派の自民党から共産党に至る既成政党には不可能であることは自明である。

二、原則的経済社会体制

  昭和時代末期にソ連東欧が崩壊し、中国・ベトナムにおける改革解放路線が現在進行してゐる中で、共産主義体制の失敗は明らかである。ソ連建国より七十年の国際共産主義運動は終息した。しかしその事が、資本主義体制の高らかな勝利とは直結しないことも事実である。

 かつての東西冷戦時代、常に東側からの批判攻勢に受け身とならざるを得なかつた西側は、資本主義体制の矛盾を調整すべく、社会主義的政策要素を積極的に導入した。資本主義の混合体制化と称されるものであり、民主社会主義路線とも称された。いづれは、資本主義と共産主義は収斂するとも評されたが、結果的には修正資本主義に統合された。現代資本主義は十分に混合的な資本主義ではあるが、資本主義の究極的存在である金融資本の巨大化などが実体経済の解体をもたらしかねない新たな矛盾に直面してをり、今改めて投機行動の許容範囲をどう設定し直すかといふ世界的問題が生じてゐる。

 政治的自由主義体制を前提とした修正資本主義体制が現代の原則的経済社会体制ではあるが、グローバル化経済の中で、世界規準といふ新たな問題も生じてゐる。経済社会の主体である文化共同体による経済運営形態の相違を認めるのか、アメリカ型の運営規準による世界統合なのかのせめぎ合ひである。ヨーロッパにおけるEUの帰趨も注目の的である。

 日本経済には欧米とは違ふ日本的経済社会の習慣や規範や規制がある。勿論、それらの中には日本経済の躍動を妨げてゐるものがあることも事実であり、改善されなければならない点は多い。しかし、改革は進めなければならないが、それは欧米型を至上として無批判に組み込まれることであつてはならない。冷静なる自己・他者認識を踏まへて、是々非々の日本経済体制が新たに構築されて行かねばならないのである。

三、経済社会の発展段階

 昭和三十年代半ばから、技術革新による文明の質的転換が世界的に生じたことは明らかである。自動車社会化、テレビ社会化、コンピューター社会化が経済発展段階に画期的な一線を印したのである。欧米・日本などの高度産業社会の先進国の後を追つてアジア・南米なども近代化といふ経済成長路線を歩み始めた。

 欧米諸国は、元来そのキリスト教文化の中から資本主義を造出してきた経緯から、近代化といふ文化と経済が相反することは比較的少ない。それに比して、わが日本やアジアなどにおいては、欧米の外交的強圧に抗するために所謂近代化といふ路線を選択せざるを得ず、その結果、伝統的文化・社会秩序の欧米化といふ変質をもたらさざるを得ないといふ相剋を抱へてゐる。経済活動の発展には社会的安定や調和が必要不可欠であるが、それには伝統的文化・社会の溶解は不安定要因でありこそすれ、決してプラス要因ではない。わが国の明治維新以来の短期間の近代化の成功には、江戸時代に醸成されてゐた日本文化の独特な経済社会性があつた。従つて、わが国においてもこれ以上の伝統的文化・社会秩序の喪失を押し止める努力が重要である。

  また、高度産業経済が自然環境を破壊して止まない性向をどう自制して、環境保全に意を用ゐるかも大きな問題である。これを超克できなければ、いづれ現代社会は自縄自縛の中で衰滅して行きかねないことは周知のことである。

四、経済構造改革

 わが国の産業構造は、終戦直後と比べ第一次産業と第三次産業との比率が逆転してゐる。特に情報産業や流通業の発達は、第二次産業の生産技術に裏付けられたものであり、わが国経済繁栄の原動力となつてゐる。反面、高度成長期の工業化・都市化による第一次産業の衰退は、特に農業にあつては著しい食糧自給率の低下をもたらしたが、それは、諸外国と比べてわが国の広義の安全保障意識の欠如をも意味してゐる。先進国において産業構造の変化は必然であるが、これまでの様な経済効率優先の切り捨てではなく、国家的生存の観点による国家戦略に基づく産業構造の保持と変化への対応によつて、均衡ある国家としての社会構造が必要である。

 また、経済成長による産業構造の変化は、政治や行政権限を巡つて膨大な数の規制をもたらした。しかし、自由競争と自己責任を経済活動原則とするならば、公共の利益に反するもの以外は原則自由とし、行政の権限至上意識や特定業者の利権から生じてゐる規制は撤廃すべきである。

  現在進行中の少子化による将来の労働力や購買力減少は、経済のみならず社会全体の大きな問題として懸念されてゐる。そのためには教育や社会環境の整備とそれを補完する税制優遇などの施策により、少子化傾向に歯止めをかけなければならない。

  国民経済の安定と発展の基本は企業活動にある。企業活動はその公共性を充分弁へて、国益を踏まへなければならない。企業が国家的・社会的責任を全うするには、企業人の倫理や責任を自覚させる社会的監視が必要である。

 わが国の経済は輸出貿易によつて成り立ち、将来においてもそれは不変であらう。その前提は相互貿易であり、相手国の産業を破壊する様な輸出のあり方を是正し、内需の拡大を図り、長期的観点からは政府の輸出管理も必要である。また、技術や資本の輸出によつて相手国の雇用創出に協力することも重要である。そして、失業率増に直結する産業の空洞化は生産コスト競争に原因があり、独自技術の開発効果と為替の安定化によつて防止する以外に手はない。また、今日問題になつてゐる外国人労働者の大半は不法滞在者であり、わが国に居住することにより様々な犯罪や治安の乱れ、文化摩擦を生じ、社会秩序を乱してゐる。よつて、外国人の不法滞在労働者の摘発は強化されなければならない。

五、土地問題

 わが国では土地に関する概念が、財産であるとともに資産運用の第二の通貨ともなつてゐるのが現状である。バブル期において顕著であつた様に、土地への投資は投機の対象となり、その有限性によつて価格は高騰する。現在はバブルの反動で土地価格は低迷してゐるが、一般庶民の購入負担は大きくなりすぎてゐる。しかも無秩序な開発や所有者の権利保護によつて、公共性が著しく阻害されてゐる場合が多々ある。その根底にある金融機関の土地本位制とでも言ふべき融資実態が改められる必要があるが、土地は値上がりするものといふ土地神話を根本的に改めるには、土地は公のものといふ価値規準を確立することが先づ肝要である。企業の生産コストや公共事業における無駄な土地コストの軽減を図るため、そして自宅購入が人生の目的であるかの如きライフスタイルを変化させるために、土地の私有権制から利用権制(土地価格管理・地目管理――都市計画他)への制度的転換が具体的に検討されるべきである。但し、これはかつての共産主義の土地国有化とは全く意図を異にすることを付言しておかねばならない。

六、国際経済政策

 戦後の経済発展が、かくも短期間に達成されたのは国際的に自由貿易体制が確立されてゐたからである。わが国の将来にとつて、今後もこの体制を維持し、擁護することが重要であることは論を俟たない。しかし、アメリカが自国の利益をのみ確保するために、アジアやわが国経済を管理下に置かうとする策謀には断固対処しなければならない。そのためにわが国の安全保障政策を十分加味しつつ、ドル決済圏から自立した円決済圏の確立をアジアにおいて図らねばならない。わが国はアメリカやEU、ASEANの動向を注視し、自由貿易体制の理念と現実を見極め、国益確保の立場からの現実的対応が必要である。

  また、国際為替制度の変動制は、その投機筋による無秩序な乱高下がもたらす実体経済の混乱を防止するために、半固定制へ移行することも一策として再検討されなければならない。実体貿易の必要外に金を金で買ふ為替投機は排除すべきである。

『教育』政策方針

維新政党・新風本部政策委員会
平成九年八月

〈戦後教育の現状〉

 我が国の戦後教育は、米国教育使節団報告に基づき、占領基本法たる現行憲法施行に合はせて昭和二十二年に教育基本法が施行され、その枠組みが形成された。

 この占領下に作られた教育理念や教育制度は、米国直輸入の個人主義・自由主義・民主主義といふ概念によつて我が国の歴史・伝統・文化を否定するための占領政策の一環に過ぎなかつた。そして戦後の東西冷戦構造は、我が国でも保革対立のイデオロギー闘争を生み、左翼勢力は自由・平等・平和といふ占領政策上の理念を絶対価値として教育の場に持ち込み、自らの勢力拡大に利用した。その結果、我が国では道徳や国家意識は否定され、心にとげを持つゆとりのない利己的な子供達が多く育てられて来た。又、戦後の学制はそれまでの複線型学制から米国式の単線型学制へと変更された。高度経済成長期以降、教育熱心な国民性と相まつて進学熱が高まり激しい受験競争が生じた結果、学校教育は受験第一主義の歪なものとなつた。そして、ここ十年来は、いぢめにまつはる不登校や学業について行けない学校不適合の子供達が多生し、社会問題となつてゐる。

 今日云々されてゐる教育の荒廃とは、教育の理念や目的が抽象的で具体性に乏しい戦後の教育基本法に起因するが、それは、その成立時から左翼イデオロギーの影響下にあつて自国の伝統や文化を無視して行はれた戦後教育の特殊事情にある。今日、我が国の教育は完全に破綻し、もはや中教審答申のやうな小手先だけの制度いぢりではなく、根本的かつ全面的な改革を必要としてゐる。

〈教育の理念〉

 我が国は三千年近い歴史を有し、その中で培はれた文化と伝統を今日に伝へてゐる。その伝統的価値観や習慣が様々な変遷を経て近代化され、社会秩序化され、制度化されてゐる。そして明治以降、日本人全般の良識的価値観を学校教育の指針として示されたものが教育勅語である。

 教育勅語は、我が国の歴史と文化を踏まへつつ近代化といふ時代的要請に応へながら、日本人としての徳性を形成するといふ教育の本質を示したものに他ならず、それは今日においても古今の真理として些も変はりはない。即ち、教育勅語に示された精神こそが我が国の教育理念の基本であり、その精神を現代に復興することが我が国の教育に最も必要とされてゐる。

〈教育の目的〉

 教育においては、学校教育・社会教育・家庭教育が三位一体となつて始めて我が国の伝統文化を身につけ、智・徳・体を備へた素晴らしい国民を輩出することができる。教育の目的は、教育勅語に示されてゐる徳目の涵養から発し、社会人として各々の分をもつて国家社会に寄与することにあり、ひいては世界人類の福祉向上に繋がる。

〈教育行政〉

 現在の教育及び教育行政の根拠となる教育基本法は、現行憲法と同じく占領政策の一環であり、その内容は我が国の伝統的価値観や文化に則したものではない。よつてこれを廃止し、我が国本来の教育理念・目的に合致した教育法を制定する。

  同時に、これらの目的を達成するために行政機構の改変、教育制度の改革も行ふ。

〈教育制度〉

 現在の六・三・三・四制の単線型学制を複線型学制に改め、義務教育後の進路選択を多様化し、中途での進路変更を容易にする。則ち、社会と学校間、学校と学校間の移動を容易にし、やる気のある者が様々な機会に、様々な立場で教育を受けられる学制を導入する。

  修業年数については、就学年齢の引き下げも含め別途に検討するものとする。

〈学校教育〉

◎初等教育の改革

 初等教育では、団体生活の営み方を通じて社会性を身につけ、公共意識や情操教育のために道徳教育を強化し、何が善悪であり正義であるかの価値判断を具体的に教へ、読み・書き・四則計算の基礎学力を確かなものにする。そして結果に到るまでの頑張りを重視し、受験偏重教育(詰め込み教育・丸暗記)を是正するとともに、日本人としての国民教育として国語教育を重視し、古典教育(簡単な古文・漢文)を行ふ中で正仮名遣ひの使用、学年別配当漢字の上限を撤廃する。又、小学校での外国語教育導入は慎重を要する。

◎中等教育の改革

 現在の中等教育は、中途半端なものであり、学制改革全体の中での位置づけを教育内容を含めて検討し直す必要がある。高等教育が専門研究主体となる学制改革の中では、中等教育の内容が一般国民教育として重視されねばならない。又、どのやうな学制であれ、中等教育では国語教育や道徳教育とともに国史教育が重要である。

◎高等教育の改革

 今日の受験偏重教育は、高等教育としての大学のあり方に起因する。現在の大学は教育機関と研究機関の二面制を有してゐるが、我が国の将釆及び教育のあり方から鑑みて、大学は研究機関としての性格づけが必要である。研究したい者や専門知識を身につけたい者のみが進学する制度に改められることによつて(卒業・進級が難しい授業内容制度)、受験の質的緩和がなされる。大学院は、より高度な研究機関として一層の充実を図られなければならないが、屋上に屋を重ねる大学院大学は不必要となる。又、国公立大学の民営化は、研究尊重の立場から採用しない。

◎教員養成と待遇

 現在の教員養成制度は、教員としての人間性や社会性等の面でその適性を判定することが難しいので、学校卒業後の一定期間を社会活動に充て、その後に正式採用する制度に改める。採用後も定期研修を義務づけ、常に適性及び能力を判定する。そして道徳教育専任の教員養成、課外活動指導者の優遇、教員資格のない有能者の教員採用も行ひ、教育の幅を広げる。又、初等教育では外国人教員は採用せず、中等・高等教育では採用を行ふが、採用条件による歯止めが必要である。

◎学校運営

 義務教育での学校運営は学校・保護者・自治体によつて行はれるが、三者の立場は同等であり、PTAを利用する態の今日の学校運営のあり方は再検討を要する。そして義務教育教科書は国定とするが、高校での使用教科書は国による検定を行ふ。そして教科書無償配布は物を大事にする観点から改めて、有償とする。又、学校給食は開始当初の意味が薄れてをり、情操教育の観点からそのあり方を検討する。

〈社会教育〉

◎学歴偏重社会風潮の是正

 我が国の学歴偏重の風潮は、本来の教育目的とは無関係であり、教育のあり方さへも歪めてゐる。よつてこの風潮を増長させる教育のあり方や社会的諸制度を改め、どの学校を出たかではなく、何を学んだかによつて人物が評価される社会のあり方を目指す。その結果として、いぢめや不登校などの解決も図られる。

◎社会奉仕活動

 阪神淡路大震災では多数の人々が救援活動に携はり、地域の繋がりと社会奉仕活動の重要性が認識された。戦後の誤つた個人主義や拝金思想を正し、人と人との助け合ひを大事にする健全な社会を目指し、福祉・医療・自治等の様々な分野での家庭や地域に根ざした社会奉仕活動を促進する。但し、社会奉仕活動を点数化し、学校教育に持ち込むことは活動の趣旨に反するので、改めなければならない。

◎生涯教育

  国民の平均寿命の伸びにより、様々な分野で様々な目的を持つ生涯教育の必要性は増々高まつてゐるが、これからの長寿高齢化社会では生涯教育の質の高さが求められるとともに、その結果を社会に生かす制度が必要である。

〈家庭教育〉

 戦後の教育風潮は、本来家庭で行ふべき躾までも学校教育に依存してをり、学校教育と家庭教育の役割分担をはつきりと分けなければならない。家庭での躾とは、社会に出て恥づかしくない礼儀作法や教養を身につけ、人としての身の処し方を教へることであり、親としての義務である。しかし現代では、家庭教育を自信を持つて実行できる親への教育が緊急に必要な世相である。

『文化』政策方針

維新政党・新風本部政策委員会
平成十一年二月

 文化とは民族の歴史的営為の蓄積であり、本来、政治が権力によつて文化を操作することは慎むべきである。我が国の文化にとつての象徴であり根本をなすものが、国語であり神社であるが、占領政策及びそれへの便乗政策によつて国語も神社も変質せしめられた。史は文なり。終戦直後の悪しき国語改革は、一貫した文章表現様式を否定して表現法の混乱をもたらし、話し言葉の乱れも招くこととなつた。その結果、わづか五十年前、百年前の文章が読めない書けない日本人が輩出され、いはんや古典においては専門家にしか理解されなくなつてしまひ、祖先との歴史的一体感を喪失してしまつた。また、神道指令による神社と国家の完全分離政策は、神社をして宗教上の一派に貶しめ、伊勢神宮を始めとする神社祭祀の公的性格を否定したことは、戦後文化の大きな負の遺産である。

 昨今、若者文化なる浅薄な社会現象がマスコミなどでもてはやされてゐるが、これらは悪しき商業主義に毒された結果に他ならず、文化に似て非なるものである。世代の断絶は文化の断絶であり、文化の断絶は歴史の断絶であることを踏まへ、政治が改悪した国語の正統性の回復は政治をもつて行はねばならない。そして、伝統的文化を基盤とした新しい文化を創造して次代へ継承することが現代に生きる国民の使命である。

【国語の尊重】

 戦後の国語政策では、使用上の利便性を目的として漢字の字体変更と使用字数制限を行ひ、仮名遣ひにも変更を加へてゐる。国語は、文化的特性が端的に表はれる分野である。特に我が国の言語は、漢字・平仮名・片仮名を使用することによつて多様な表現が可能となり、その日本人独特の微妙な感情表現が日本文化の一つの特性となつてゐる。よつて、正統な国語への回復が一日も早く望まれるところであるが、現行の国語も実施されて既に五十年を経過してゐることに鑑み、緩やかな回復を目指すしかない。

 そのためには、(1)漢字の使用制限は撤廃すべきである。但し、学校で覚へるべき最低基準は設けるべきである。そして、漢字は本来の意味を失はない範囲において簡略化されて良い。(2)現行仮名遣ひは古文との一貫性において、歴史的仮名遣ひに改めるべきである。公文書での左横書きは、右縦書きに是正すべきである。

【政教分離の見直し】

 祭祀や宗教が生活に密着した伝統文化を形成することは古今東西の習ひである。戦後移入された政教分離の原則は、西欧において政治に宗教が介入することを排除するために確立された原則であり、我が国ではこれが誤つた解釈のもとに適用されてゐる。人間社会の中で無神論者が特異な存在であるやうに、国家が祭祀や宗教と全く関はりを持たないのは逆に異常であり、世俗を超えた至高のものが存在するといふ意識は、権力や文明の限界性を意識させる点において人間社会を健全なものとする。特に皇室を敬戴する我が国においては、神道に基づく宮中祭祀が国家成立の根幹とも言へ、祭政一致が国民精神の根源に位置づけられる。従つて、我が国での祭政一致の現代的あり方と政教分離との混同を正常なものへと改めなければならない。その意味でも靖国神社への首相の公式参拝の実現が急務である。

  我が党は、皇室の宮中祭祀は国家の最重要公事であることを明確にし、伊勢神宮・靖国神社・護国神社は祭祀特別法人とする。国民の信仰の自由は憲法によつて保障し、政教分離は国家の基本原則とするが、国や地方自治体が伝統的社会通念として祭祀に関与することは是とする。

【新しい文化の創造】

 我が国では、儒教や仏教、明治以降のキリスト教の受容とともに様々の文物が移入されたにも関はらず、我が国の根源的価値観が大きく変容されることはなかつた。古いものは古いなりに、新しいものは新しいなりに取捨選択され同化され、日本文化の重層的構造を形成してきた。このやうな文化のあり方は、単一のものを絶対的なものとするのではなく、複数の価値の並立を許容する特質を持つてゐる。

 戦後の我が国社会は余りにもアメリカナイズされ、伝統的な文化が持つ醇風美俗までが省みられなくなつた。我が国の歴史や伝統の中にある価値観や思想を再評価し、日本文化の持つ特質に基づいた現代文化を創造しなければならない。そのためには、伝統的生活・時間感覚に基づいた年号表記(元号優先尊重)の存続と、祝日法改正による伝統的祝日の再興を先づ図り、欧米崇拝や利便性・経済至上に流されがちな国民精神の意識変革が必要である。